「いちばん尊敬する人、それは日野原重明先生です」
書道家の武田双雲さんに編集部がはじめてお会いしてとき、そう武田さんは言いました。その言葉を日野原先生にお伝えしたところ、「ぜひお会いしましょう」とのお返事をいただき、6月中旬、今回の対談が実現しました。
「医者にならなければ
書道の先生になったかもしれない!?」
日野原重明先生(以下、先生)
あなたはどうしてその若さで書の世界に入ったの?
武田双雲さん(以下、武田)
母親が書道の先生だったんです。最初は字の上手下手ばかり気にしていたんですが、あるとき1つとして同じ字はないことに気づいたんですよ。お手本は一緒なのに、どれも違う。どうも性格とか雰囲気と字が関係しているということに、小学校2年生ごろ気づきました。それで、字が人みたいに見えてきて、おもしろくて続けてきました。
先生
僕はね、医者にならなかったら音楽家か、書道の先生になったかもわからない(笑)。というのも、10歳のときに急性腎炎になって1年間運動を禁止されたの。私の母が1年も運動しないのはかわいそうだからピアノを習うといいとアメリカ人の先生のところに連れていってくれたの。それが音楽をはじめたきっかけ。そのときにね、音楽だけでなく、お習字でも書いてみたら、と。大正5年ごろです。
武田
大正5年! 大正デモクラシーの大正ですよね。
先生
紙が貴重な時代ですから、半紙ではなく新聞紙に書きました。新聞紙も貴重でしたよ。ティッシュやトイレットペーパー代わりにも使っていましたから。それに1か月、毎日書いたんです。
それで学校で私の習字が一等をとった。もっとお手本の写しに似たうまい字があったように思うんだけど、先生は私が書いた、真似をしていない字にいい点をつけてくれたんだね。
武田
書道というものは文字だから、うまい下手を超えて、大切なのは言葉だなと思いはじめたときに、じゃあ言葉がどういうふうに人間に影響を与えるかなと少しずつ考えだしたんですよね。
そして大人になって、自分がなぜ元気で明るく生きてこられたんだろうと思ったときに、どうせなら自分の元気と明るさを社会に役立たせたいと思ったんです。でも結局ぼくが得意なのは書しかなかったから、みんなのゆとりを増やしたり、元気にするためにどのように書を生かそうかと考えるようになりました。
…中略…
希望は心の中にある緑のようなもの
(欲しいものが何でも手にはいる豊かな時代に、幸福感をもつことが大事という話の中で)
先生
もう1つは、病気をしている人や障害を受けた人と友だちになることです。
武田
それは、先生が本に書かれていた「悲しみに寄り添う」ということですか?
先生
そう。そうすることで、感性がだんだん幸せを感じるようになっていくんです。
武田
そういう意味なのですね。みんな自分より金銭的、物質的に豊かな人ばかり見ているわけですね。
先生
そこに幸せを探そうとしているのね。そうなると、感じているのは幸福ではなくて欲望になるの。欲望というのは「足りない、足りない」という渇き。希望とは、心の中にある緑のようなものです。
…つづきは本誌で
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日野原重明先生

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