西郷隆盛は、
誠実に生きた人でした。
小学1年生のころの私のあだなは「西郷さん」。ぷっくりした口元がちょっと似ていたんです。ですから西郷隆盛はずっと気になる存在で、最近再び彼のことを調べ直しています。
彼は若いころから、藩主・島津斉彬にかわいがられて御庭番として活躍するのですが、30歳のころ、藩主が急死。立場が悪くなり、将来に絶望して同志である僧と一緒に、錦江湾(鹿児島湾)で投身自殺を図ります。けれども西郷さんだけが助かってしまい、ひとり、奄美大島に蟄居を命ぜられます。
…中略…
教えつつ学ぶ。
この姿勢が、
優秀な人材をつくります。
西郷さんは教育にも熱心でした。1873 (明治6)年、彼が下野して鹿児島に戻ると、血気盛んな若者たちも彼にならって戻ってきて鹿児島は若者でいっぱいになったそうです。そこで西郷さんは彼らを指導し、よい方向へもってゆくために私学校をつくりました。そこでは彼自身が、若いころに受けた鹿児島独特の郷中教育が行われました。町内の若者が集まって、教師に教えを請うのではなく、年長者が幼い者に四書五経や武術を教えるもの。人に教えることで年長者も自分の不明を知り、いっそう学ほうと精進するしかけです。
…以下略…
※つづきは本誌で